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テニスウエアといえば白、という常識も今ではウインブルドンでしか通用しなくなりました。と言ってもこれは回帰現象。テニスの起源をたどれば、もともと人々は色とりどりのウェアでプレーを楽しんでいたのです。今回はテニスファッションの変遷について、レポートします。
●かつて女性はテニスのときも コルセットをした
テニスはもともと、貴族や上流階級のレクリエーションとして広まってきました。プレースタイルも現在のようなパワーテニスとは異なり、ラケットでボールをヒットするというより、ちょこんとあてて楽しんでいたようです。そのファッションも優雅で、女性はベールつきの帽子をかぶり、糊のきいた襟つきの長袖ブラウスに、芝生まで届く明るい色のスカートというのが一般的でした。きちんとコルセットをつけ、靴はハイヒールだったと言います。
純白のウエアがテニスファッションのスタンダードとなるきっかけとなった記念すべき年は、ウインブルドンの種目に女子シングルスが登場した1884年。ウインブルドンの初代女子チャンピオン、モード・ワトソンと、その妹で準優勝したリリアン・ワトソンの二人は、帽子、ブラウス、ドレスまで白のすっきりとしたファッションでまとめて出場。それから、「ウエアは白を基調としたものを着用」というウインブルドンの大会規定の歴史が始まりました。そしてテニスウエア=白という常識は、ウインブルドンのみならず世界のテニス界に浸透しました。
●プレーの変化がスカート丈を変える
ワトソン姉妹がテニスウエアに影響を与えたのは、色だけではありません。選手権大会ともなれば、それまでのように試合中に、かさばったペチコートに足をからませて転ぶのもご愛嬌というわけにはいかなくなったのでしょう。彼女たちのはくスカートは、くるぶしが出るくらいまで短くなり、以前のものと比べれば少しは動きやすいように工夫されていました。
そのスカートをもう少し短くしたのは、1905年にウインブルドン初の外国人チャンピオンとなった、アメリカのメイ・サットンでした。とはいえ彼女のスカートはまだまだロングスカートと呼ばれるものでした。
スカートの長さをふくらはぎまでにしたのは、1919年のウインブルドンチャンピオン、フランスのスザンヌ・ランラン。普通の女性プレーヤーにとっては、ウインブルドン以前のテニスウエアがまだ一般的だった時代です。スカート丈だけでなく、帽子の代わりにバンダナを頭に巻き、コルセットもペチコートもつけず、襟ぐりが広く開いたノースリーブスのワンピース姿のランランは大きな衝撃を持って迎えられました。「空飛ぶランラン」なるニックネームを授けられた彼女は、女性にもテニスをスポーツとして楽しむ時代がきたことをあらわすシンボルといえるでしょう。
●ウエアはやはり機能性を重視
そしていよいよ女性がひざを出してプレーするようになりました。1949年にウインブルドンに出場したアメリカのゲルトルード・モーランがその先駆けです。彼女はスカートの下にフリル付きの下着をつけました。後にアンダースコートと呼ばれるようになるこの下着は、当時売りだし中のイギリス人デザイナー、テディ・ティンリンが作ったと言われています。
そして今日、女子テニスがハードなスポーツとなるにつれ、女子選手のウエアは機能性を追求するものになっています。フリル付きのアンダースコートは珍しくなり、代わりにスパッツが着用されるようになりました。15年程前にウインブルドンでアメリカのアン・ホワイトが白のスパッツ姿でウォーミングアップをして物議をかもしたことを考えれば、時代の変化が感じられます。
なお、1939年のウインブルドンチャンピオン、アリス・マーブルはショートパンツでプレーをして話題となりましたが、昨年ツアーを引退したステフィ・グラフもショートパンツが好きで、練習姿は決まってTシャツとショートパンツでした。
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